TOP > 更新情報 > 「はだしのゲン」 平和と安全を求める被爆者たちの会が松江市に意見書
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松江市教育員会御中
平和と安全を求める被爆者たちの会
副代表 池中美平(被曝二世)
平成25年8月22日
小・中・高・学校図書館における、「はだしのゲン」閉架処置への賛成意見書
前略
初めに、貴委員会におかれましては、表題に示す処置をされたご英断に心から賛同の意を表します。
弊会は広島を中心にして活動する、被爆者・被曝二世、三世並びに協力者からなる団体です。既存の「被爆者団体連絡協議会」などの主張や行動からは一線を画しており、現実的な観点から我が国の平和を維持し、それを子孫に継承することを最大の義務としています。
昨年、私達も広島市教育委員会に、「はだしのゲン」を「平和教育副読本」から除外するよう要望書を提出しました。貴委員会も本書に問題を感じ取られて、今回のご処置になったたのだと拝察し、この賛成意見書を提出致します。特に島根県は、サンフランシスコ講和条約の締結から発効までの空白期間に、韓国の軍事力行使によって竹島を奪われ、それ以降にも銃砲撃で我が国民の人的、物的被害が山積したにもかかわらず、その事実が忘れられてきたことに特別の感情を持ち、又独自の対策を取って来られたことに深い共感を覚えています。時を経て、韓国側は「独島(竹島)は日本による大陸侵略の最初の犠牲者である」という身勝手な主張をするようになったことに対処する『竹島の日』制定と行事に見られるように、根拠ある「史実」が重要であるというご認識をお持ちだと考えます。
「はだしのゲン」には竹島問題と同様に、史実として疑問の多い数々の事柄が稚拙な政治的言葉を使って各所に散りばめられており、非道な原爆攻撃が手近な日本人の責任に転化され、反核感情は「個人的八つ当たり」のレベルに"低俗化"した感があります。
1970年代半ばに始まる少年雑誌の漫画が、その時代の一過性の流行で終わったなら、さほどの問題にはならなかったでしょう。しかし、当時の思想雰囲気の中で、教職員組合が中心になって学校図書館に公費での購入を拡大したことで低俗なレベルのまま、後に訂正されてきた史実が反映されずに「学校平和運動」の「聖典」になりました。これを判断力の乏しい児童生徒が鵜呑みにしたら、おどろおどろしい場面に衝撃を受けながらも、何となく根拠不明の「戦争悪い、大人悪い、日本悪い」という潜在意識を植え付けてしまいます。長じて後に、潜在意識を史実に沿って修正するのは非常に困難です。
以降で、貴委員会がご認識されている事柄とは思いますが、特記すべき箇所の要点的記述を行ってみました。ご多忙中恐れ入りますが、ご覧頂ければ幸甚に存じます。
草々
「はだしのゲン」にある表現と、マスコミ等の認識の問題点への要点的批判
1.「ゲン」の発言は原爆を肯定的に捉えてはいないか?
これは、少年「ゲン」の口を通した、中沢氏の思考とも考えられる。
次の台詞がある。「広島 長崎の原爆の破壊力・・慌てて・・ポツダム宣言を受け取って」
「戦争をおわらせたのは広島長崎・・・の姿」「日本人は広島長崎の犠牲に感謝せんといけんわい 生きのこれて安心して眠れる戦争のない世の中のしたんじゃけえ」
しかし史実は、ポツダム宣言(1945年7月26日)の相当前から、ソ連を通じて終戦の意志を連合軍に伝えていた。一方ソ連は「ヤルタ密約」で日本を裏切るつもりだったので、日本の降伏後の体制に関する希望条件等は連合軍には筒抜けだった。そこで米国は宣言からその回答箇所を外すことで日本を困惑させ、原爆投下までの時間稼ぎをしたことが今では広く知られている。すなわち「原爆投下までは日本を降伏させない」のが連合軍の意志だった。漫画の台詞は史実を逆転したものである。作品制作の時代にはまだ知られていなかったから個人的感情の表現だとしても、"戦争を終わらせたのは原爆""日本人は広島長崎に感謝しろ"云々は見逃せない問題がある。これはまるで、「原爆は百万人の米国将兵の命を救った」という原爆投下の正当化理屈と瓜二つではないか。大多数の被爆者が米国の"正当化"に最大の怒りを感じているのではなかったか。また、2007年の久間防衛大臣(当時)発言も似たようなものであり、これを大非難して辞任に追い込んだ世論やマスコミが、「はだしのゲン」への松江市処置を非難するのは、度し難いダブルスタンダードである。
意図的な非戦闘員殺害(つまり戦争犯罪)である東京を始めとする主要都市への無差別爆撃の犠牲者数は広島・長崎を超えている。しかし「ゲン」の台詞にはそれらの人々への一片の共感もなく「広島長崎の犠牲に感謝しろ」と言うのは、冷笑的であり、侮蔑的ですらある。復興に渾身の努力を傾けたのは被爆者達だけではない。
私は戦後間もない時期に被爆者の家庭に産まれ、惨状の跡は記憶に生々しい。そして周囲に多くの被爆者もいたが、いかに原爆被害が名状し難い惨状であっても、これほどまでに高踏的な言説を吐く者はなかった。
個人的感情で都合よく史実を切り刻む台詞に満ちた「はだしのゲン」を今なお「原爆が良く描かれている」というだけで、学校の教材にするのは全く相応しくないと考える所以である。
なお、本項冒頭のゲンの台詞で「・・・」で略した、天皇その他への言及箇所は後述する。
2.先の大戦を天皇他、日本の指導者だけに責任(開戦?敗戦?)をなすりつける愚
前項で略した部分及び同趣旨の他の台詞に下記例がある。
「戦争狂いの天皇や指導者は完全に負けると判っている戦争をやめんかった」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はいっぱいおるよ」「まずは最高の殺人者天皇じゃ」「あいつの戦争命令でどれだけ多くの日本人 アジア諸国の人間が殺されたか」「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえってとる天皇をわしゃ許さんわい」「原爆の破壊力と惨状が、天皇はじめ戦争狂の指導者を震え上がらせ、自分らも原爆で殺されると慌てて、無条件降伏のポツダム宣言を受け取って戦争は終わった」「日本は戦争をしてはいけんのじゃ。軍部のやつらが金持ちにあやつられ武力で資源をとるためにかってに戦争をはじめてわしらをまきこんでしまったんだ」
史実から見て、多くの事実無根と先験的に刷り込まれた誤った天皇観がある。要点的に述べる。
第一に天皇に対する罵詈雑言が目に余る。「戦争狂いの天皇」「最高の殺人者天皇」
「天皇の戦争命令」「天皇の戦争責任」、これらはいずれも天皇を一時代前の絶対君主、独裁者になぞらえた悪意ある虚偽である。帝国憲法下の天皇には、勝手に戦争を"命じる"権限はなかった。天皇による開戦の詔勅は帝国議会の議決と国務大臣の副署に基づいて発布することが義務であり、独断での"命令権"は無かったのである。天皇は、開戦回避に向けて憲法の許すぎりぎりの範囲で努力したことは、「はだしのゲン」の発行当時でも歴史事実として知られていた。「天皇犯罪者」を叫ぶのは、一部の特定思想に囚われた人達の恣意的な主張に過ぎない。対米戦を奏上する御前会議(これは運用上始まったもので、憲法にはない)において、明治天皇の御製を詠み、内閣に再考を促したことをゲンの台詞によって中沢氏は無視していることがわかる。
「天皇は戦争を終わらせたのだから、開戦も止められたはず」と巷間で言う者があるが、どちらもできなかったのである。終戦の詔勅は、御前会議で開戦・終戦が賛否同数になった(そのように鈴木首相がした)ところで、「陛下、ご裁可を」と求められたことから停戦に決したが、この行為が憲法上の疑義として天皇は意識していた。開戦は閣議決定であるから、天皇は裁可するしかない。現代の諸国憲法でも、防衛事態、非常事態、戦争事態を宣言するのは、議会の議決に基づいた元首の役割であり、元首にその責任はない。例えば、デンマーク憲法では「国王は自己の行為に対して責任を有せず、その人格は至聖である」とある。また、ベルギー憲法では「国王は不可侵である。その大臣が責任を負う」「国王は陸海軍を指揮し、戦争を宣し、平和、同盟、通商条約を締結する」とある。これらの条項は帝国憲法の「天皇は神聖にして侵すべかざる」「天皇は帝国議会の協賛をもって立法権を行う」「天皇は国家の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規により之を行う」「天皇は陸海軍を統帥す」の各条項と符合したものである。日本は、ドイツのように「ナチス権限付与法」で議会が無くなり、憲法が棚上げされた国ではない。従って、「天皇の戦争命令」なるものは空想の台詞でしかない。「戦争狂いの天皇」「最高の殺人者天皇」などは、民間人なら名誉棄損ものであって論評する価値もない。天皇が反論する機会の無いのを良いことに、罵詈雑言を浴びせるのは人間品性の問題である。
第二に戦争責任の問題。戦争に関わる指導者責任で確定的に行われるのは「敗戦責任」しかない。敗戦という明白な事実に対する政治責任が「敗戦責任」であり、その裁きは戦勝国ではなく、敗戦した側の国や国民が裁くのである。先の大戦では、東條英機も「敗戦責任は自分にある」と明言している。フランス・ビシー政権のペタン元帥はフランス自身によって裁かれた。日露戦争での、旅順のステッセル将軍、日本海海戦のロジェストウェンスキー提督もまたロシアの裁判に服した。フォークランド戦争ではアルゼンチンの
ガルチエル大統領が自国の裁判にかけられた。当時も今も基本的に「敗戦責任」を自国の主権の範囲だとする考えは変わっていない。最近ではジェノサイド条約で国際裁判になることがあるが、特別な場合である。このような国際常識に従って、敗戦後の日本政府は、
ポツダム宣言第10条の「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えられるべし」を、その時代に確定していた戦争犯罪の概念で理解して日本側での裁判を要求したが、占領軍は拒絶した。日本の主権が徐々に奪われる過程での出来事である。
現行憲法第39条には「【遡及処罰の禁止・一事不再理】何人も、実行のときに適法で
あった行為又は既に無罪とされた行為については刑事上の罪を問われない」とある。
一方、いわゆる「東京裁判所条例」では
(ア)<俗称A級>:平和に対する罪;宣戦を布告せる
又は布告せざる侵略戦争若しくは・・・・諸行為のいずれかを達成するための共通の計画又は共同謀議への参加。
(ウ)<俗称C級>:人道に対する罪;-詳細略-
この二つの罪を、「遡及処罰:事後法」として定めた。これは上記現行憲法(占領軍作成)とは明確に違背する。尤も、「条例」は現行憲法施行前に定めたものではあるが、憲法施行後も、「条例」に基づくいわゆる「東京裁判」は続けられた。米国は自身が定めた憲法条項と「条例」を都合良く使い分けたのである。
両者の矛盾は検閲体制の中で、「東京裁判」を秘匿することで隠蔽された。"戦犯"逮捕は「条例」制定前から開始されていたのだから、近代法の原則である「罪刑法定主義」までも捨て去られたことになる。そして、"裁判"は検察側論告通りに結審した。
その主論点は『昭和3年から昭和20年9月2日の間、日本は一握りの「犯罪的軍閥」に支配されていたのであって、その軍閥によって勝目のない戦争に引きずり込まれた日本国民もまた被害者である。この犯罪的組織はドイツのナチス、イタリアのファシストと同様の全体主義だった。この組織が世界征服の挙に出るために共同謀議を行い実行した』というものである。昭和3年からの日本の歴史を訪ねると、17年間も一握りの人間が、同一の目的で継続して世界征服の謀議を凝らした事実は見出せない。1984年、東京で、「東京裁判」の判事も含む、国際的広がりをもつ専門家集団のシンポジウムが開催されたが、日本にナチス同様の「世界征服の共同謀議」を立証できない、としている。(東京裁判を問う:講談社学術文庫)とすれば「平和に対する罪」は構成できなくなる。しかし、結果的にはこの物語が判決になった。勝者の裁きであり、反証は無視された。さらに"判決"は、米国の意に適う判事たち、いわゆる多数派だけで書かれたことも追記しておきたい。
先の大戦は、第一次大戦以降の多彩な国際政治力学関係から米国による日本への様々な圧迫が開始され、それへの対応策としての大陸進出(残念ながら、侵略と見做さざるを得ない行動もある)、大陸の政情への過剰介入や場当たり的反応、米英の「裏口からの参戦」などの複雑な状況の積み重ねから起こったもので、東京裁判のように単純な切り分けは困難である。
これらの観点を下敷きにして、「ゲン」の台詞を見ると、東京裁判での検事側論告をほぼなぞった発言になっている。教育的側面から見れば、専門家からの批判も疑問も多い粗雑な検事論告をそのまま資料として児童・生徒に与えることは正しいのだろうか。
原爆攻撃を、日本の「天皇と軍部」のせいだとして、天皇を入れることは、東京裁判の検事論告とも異なり、史実を歪曲化することにも繋がる。戦争責任も前述の論及から、一般的に「開戦責任」まで含めるのはかなり無理筋と言うべきだろう。
第三は「無条件降伏のポツダム宣言」である。
これは「宣言」そのものを見るだけで、虚偽だとわかる。第5条に「吾らの条件は左の如し」とあって、第6条以降が条件内容である。そして第13条に「吾らは日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、、、」とあって、この条項以外には"無条件"の文言はない。日本軍の降伏条件が無条件なのであって、それ以上の意味ではない。一般に戦闘の各地で、部隊降伏があるが、その条件交渉で当面の治安維持や住民保護等が協議される。その範疇での「無条件」でしかない。だから、日本政府は占領司令部と対等に渡り合う努力を重ねた。しかし、日本軍の武装解除と復員が進捗するにつれて、占領軍は徐々に日本の主権領域に踏み込んできたのである。「ポツダム宣言」で日本国家が"無条件降伏"したのではないことはしっかりと押さえておかねばならない。
「ゲン」のような認識は、今日一般的に広がっているかもしれないが、誤りである。
3.三光作戦は虚偽
首をおもしろ半分に切り落としたり、銃剣術の的にしたり、妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり・・・・という台詞とともに、児童・生徒には正視に耐えない残酷な場面がいくつも描かれている。そして、これを日本軍のやった三光作戦だとして、
「へどが出たわい」と述べている。「はだしのゲン」の書かれた時代の一時期、日本で話題になった"問題"である。そして、これが、中学・高校の歴史教科書に登場するようになって問題が顕在化した。「光」を日本語にない「××し尽くす」という意味で使用する日本軍の作戦は無いと主張する論者達による「その作戦命令書を示せ、作戦というからには命令書がなければならない」という追及で、教科書執筆者側は証明できなくなり、やがて、教科書記述は「三光政策」と名を変えた。しかし、それでも「光」の使用法が日本語にはないもので不自然だという反論が多数あった。やがて、その言葉は中国共産党が国民党の行動に対して用いたものであることが明らかにされて、世間から消えた。悪業のすべてを日本軍のせいにすれば、不思議と受けいれられてしまう時代が確かにあった。それほどに漫然とした雰囲気だけで虚説が流布するイデオロギー優先の時代だった。「はだしのゲン」はこの時代の作品であり、論争によって修正された内容を反映してはいない。
「はだしのゲン」が描いた場面には、元資料がある。東京裁判でかろうじて受理された「宣誓供述書」(証言:天津歩兵隊長兼支那駐屯歩兵第二連隊長だった、萱島高氏)である。
内容は、昭和12年7月29日に発生した、中国の保安隊が、居留日本人婦女子を襲って二百数十名を惨殺した事件直後の現場検証記録であり、この内容通りに漫画が描かれている。但し、犯人は中国兵で被害者は日本人であることが違う。これを「通州事件」と言う。
追記すると、老境に入った人物で、今でも「三光作戦」を「はだしのゲン」の作画通りにあったことだと信じている者がまだ居る。一旦刷り込まれたものが容易に取り除けないことを示している。「はだしのゲン」を児童生徒の目に触れさせてはならないと思う事例である。
4.「女性」は戦争を止められるか。
次の台詞がある。「女にも戦争を起こした責任はあるんだ」「日本中の女が体を張って反対したら、男の思うようにできず、戦争はふせげたはずよ」
前半の台詞で、戦争責任を「開戦責任」だと中沢氏が理解しているのは明らかになった。
この点は前項で論じたので、再度は触れない。後半の台詞は現代では明らかな「時代錯誤」である。近年盛んに主張される「男女共同参画」であるが、世界の軍隊は今や最も男女共同参画が進んでいる組織の一つである。軍事透明性の高い米英を例にすると、全軍の15%から20%が女性であり、その割合は増加し続けている。戦闘機の急旋回で重力加速度は地表の6倍にも達するが、男性よりも女性がこの加速度に耐える能力の高いことが明らかになった。湾岸戦争では爆撃機、戦闘機、攻撃機にはかなりの女性パイロットが搭乗していた。艦船の出航では、幼児を抱いた父親が、出征する母親を見送る風景が日常化している。女性だけの戦車部隊もある。今年、女性将軍も登場した。米国のパナマ侵攻では、女性部隊が自動小銃で攻撃部隊を制圧する場面が放映されていた。イスラエルでは男女とも徴兵対象である。自衛隊にも女性部隊があり、輸送機パイロットには女性も居る。悲惨なボスニア内戦では、再優秀な狙撃兵は子持ちの女性だったが、敗北したので処刑された。
「はだしのゲン」のように、戦争への対処を「男性」「女性」の観点で見るのは、現実とは異なる。そして、ここの台詞で感じられるのは、女性による「男性蔑視」の発言だとも思えてしまうことである。
5.教育の中立義務の観点から
論述してきたように、「はだしのゲン」は、原爆の悲惨さを強調するまでは良いとして
も、戦争批判、先の大戦原因への認識、現代の軍隊の状況などに、史実および現実とかけ離れた稚拙な政治的表現での断定と断罪が含まれている。その中には、個人への誹謗中傷の類だと思われるものもある。端的に言って「虚説」が多い。1973年に少年雑誌で掲載された当時から変わっていないことも原因の一つではあろう。教科書だったら、採択期毎に検定が行われて、最近の研究成果が反映されるだろう。もし、「はだしのゲン」を検定に付したら「複雑な事象を一面的な記述で断定している」という意見になるはずだ。
この雑誌はPTA組織の運動で批判対象になったことから後半の著述が不可能になった。そこで教職員組合の支援が入り、単行本を公費によって学校図書館で購入するようになって全国に広がった。この過程で漫画の後半巻の政治性が顕著になっていったと思われる。そして「はだしのゲン」は特定思想の角度から恰好の宣伝道具になった。記述は中立的ではないのだから、批判力や判断力の不十分な児童・生徒への教育用には全く不適切である。そればかりではなく、学校図書として所蔵して児童・生徒が一面的な見方に染まってしまう怖れも多分にある。潜在意識を長じてから価値中立に戻すのは、途方もない努力と困難を伴う。であるなら、最初から多様な見方が身に付く書籍を所蔵するのが教育の中立性からも正しい。「はだしのゲン」は学校図書として置いておくこと自体が問題ではないのだろうか。
20ヶ国語に翻訳されて、発行部数が何千万部かであっても、それは背後からの支援があったからで、数の多さが書の優秀さを示すとは限らない。
6.マスコミ論調への批判
松江市の処置に対する一般マスコミの主な批判は、
(1) 発端は一市民の声から出ている。これに対して教育委員会は自信をもって
「これは子供たちに見せる教材」であるとはっきり示すべきだ。
(2) 表現の自由をどう担保すべきかだ。公の権力が制限してなし崩し的に狭めるのは大変危険である。
概ね、この2つの角度からの批判がある。(1)の発端云々は、批判者の好む方向ならその発端を問題にはしないだろうから、論評外である。「子供たちに見せる教材」としては内容に虚偽があり、一面に偏したイデオロギー性を帯びているから教材には不適切だと、自信をもって言えるから閉架処置を取っただけのことであろう。
(2)の表現の自由云々については、正規教科書ではないから商業コミック誌として販売するのは自由である。一般販売を差し止める権力は教育委員会には無いから、表現の自由を侵すことにはならない。購読者の支持があれば売れるだろうし、嫌われたら消滅する普通の書物になるだけのことである。これまでの教職員組合の支援による学校図書館への販売手法が異常だったに過ぎない。
「原爆の悲惨さを語り継ぐ、反戦・反核の教材」の点からだけ評価して、根本に流れる思考と記載内容の事実関係を検証しなかったこれまでのやり方が間違っていたのである。
-松江市の措置を支持します。できれば児童の目に触れさせないのが教育的配慮です-
以上