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こんな授業を受けたかった! 育鵬社 歴史教科書執筆者の感動講演

講師は広大出身の愛媛の熱血、現役教師(社会科)です。
育鵬社歴史教科書の執筆者でもあり、各地で感動的な講演活動も行われています。
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教育講演会
 「子供たちに日本の誇りを語って!」育鵬社教科書執筆者が語る!
 
講師 大津寄 章三 先生

愛媛県松前町立岡田中学校教諭
育鵬社歴史教科書執筆者
日本の歴史を学ぶ会 愛媛専任講師
 
〇日 時 平成23年12月3日(土)14~16時
 
〇会 場 広島国際会議場 会議運営事務室
     (広島市中区中島町 平和公園内)
  
※参加申込み先 082-831-6205(事務局)
主 催 建国記念の日奉祝委員会
 
 
【参考】
歴史を踏まえて
骨太の心づくりに挑み続ける


歴史は「自分」を知る命綱 
――大津寄さんは中学校の先生をされていますが、子どもたちにとって郷土の偉人や日本の歴史がどうして大切なのでしょう。
 
大津寄 今の子どもたちには「自分」を位置づけるための座標軸がないと思います。横軸を社会という空間的な広がりだとすれば、縦軸は時間的・歴史的な広がり、つまり縦のつながりになります。横軸については、最近、学校でも奉仕活動などを推進していますからわかるのですが、もう一つの縦軸がわからない。今の自分は、親がいて祖先がいて、その人たちが守ってきた郷土があり、国があり、文化があってこそ存在しているということを教えられていないからです。ですから、まず郷土の歴史
や偉人が大切なのです。
横軸と縦軸は、自分を知るための「命綱」だと思います。その二本の命綱のうち、一本が断ち切れてしまっている。それが今の社会ではないでしょうか。
 
――大津寄さんが「歴史に学ぼう、先人に学ぼう」原稿募集に応募された「種たね麦むぎを残して飢饉を救った義農作兵衛」(『語り継ぎたい日本人』所収)も、郷土の偉人の一人ですね。
 
大津寄 そうです。義農作兵衛は、この郷土を飢饉から救った、郷土の恩人です。
享保十七年(一七三二年)に起こった大飢饉のとき、村人みんなが種麦はもちろん、海草や草の根や筵(むしろ)を食べて飢えをしのいだ中にあって、作兵衛は「穀種は農の本である。もし心のまま
にこの穀種を食らい尽くせば、明年はどのように国用を助けるというのか」と言って、死をもって種麦を守った人です。そうして残った種麦のおかげで、翌春には万粒まんりゅうの実りとなって、郷
土の人々は命を救われたのです。地元では作兵衛を知らない人はいません。地元の小学校には銅像があります。「義農味」という企業もある。「義農公園」「義農アパート」もある。「義農さん」も結構います。明治になって苗字をつけたとき、地元の多くの人が義農姓をつけたんですね。
身近な郷土の偉人の物語を伝えてやることで、子どもたちは親・祖先が育った郷土への愛着や誇りを培い、生きる自信をつけていくことができるのです。
 
高い志にあこがれて

――ところで、大津寄さんが先生になられたきっかけは?
 
大津寄 中学校で二年間担任していただいた先生の影響ですね。その先生は、三年間、社会を教えてくれたわけですが、私たちを卒業させたあとインドネシアの日本人学校に赴任されたのです。「インドネシアの日本人の子どもたちはろくな教育を受けられない。行って手伝ってくる」と言って。当時、インドネシアは政情が不安定で物騒なところでした。しかし、そんなことを顧みず、自分の志に従って行動する強さ、志の高さというものを目の当たりにしたのです。
学級委員だった私は、クラスを代表して空港まで先生を見送りに行きました。先生を乗せて飛び立っていく飛行機を見ながら、なんて偉い先生だろう。なんてかっこいいんだろうと思いましたね。それが自分も教師になろうという大きな動機になったと思います。
 
――今日、子どもたちに「生きる力」や「命の大切さ」についてどう教えるかが問われていますが。
 
大津寄 私は常つね々づね生徒に「この世で絶対間違いないことは、たった一つしかない。それは生
あるものは必ず死ぬ、ということだ」と教えています。生を充実させ、全まっとうするためには、そ
の淵に見え隠れする「死」をこそ見つめさせなければならないと思っています。
以前、声楽家の方からこんな話を聞きました。声楽家はすごく高い音域まで声を出しますが、楽が
く譜ふの中の高い「ラ」の音を自在に操るためには、その上の「シ」の音まで発声できなければならないというのです。それと同じように、「命の大切さ」を言うならば、命を超える価値について十二分に承知していなければならないと思います。
 
――そのことで、大津寄さんには何か原体験があったのでしょうか。
 
大津寄 私が「命」や「生きる」ことについて、本当に出会ったのは大学時代でした。教育問題のサークルに入っていて、学校の近くの江田島に行きました。江田島はかつて海軍兵学校があり、立派な海軍士官を育てた所です。そこの教育参考館の中に、大東亜戦争のとき、特攻隊として散華した隊員の遺書や写真を集めた部屋がありました。そこで当時の館長であられた岡村清三先生から直接に説明を受けました。
岡村先生が示された一枚の写真は、アメリカ軍艦からの弾幕の中で被弾した特攻機が、黒煙をもうもうと上げている写真でした。「大津寄くん、これ落ちているように見える?」「はい、そう見えます」「撮った角度によってそう見えるけれど、実は上昇しているんだよ。上がろう、上がろうとしている。航空燃料は高温で燃えるので、これだけ黒煙を吹いているとなると操縦者は生きてはいまい。それでも機体が上がろうとしているのは、操縦桿を引き絞っているんだよね」
岡村先生からそんなお話を聞いたあと、私は そこまでして彼らが守ろうとした国とは一体なんだろう と、そればかり考えて、ずいぶん長い間、その部屋で遺書を見つめていました。
そこには二十歳前後の、まだあどけなさを残した若者たちから、母への感謝とお詫びの言葉、妹や弟、そして同胞たちへ「あとを頼む......」と認められた遺書がありました。それは死を直前にした若者と思えないほど、凛りんとした気概と決意に満ちた文面でした。
私は、彼らがたどり着いたその境地を学ばなければ、戦争とか命について語れないのではないか、とつくづく思ったものでした。
「本当の人間になる」とは何か
 
――そうした「命を超える価値」について、生徒さんにどのように伝えているのですか。
 
大津寄 前任の松前中学校では、文化祭で生徒たちと一緒に「享保十七年」という演劇を行いました。義農作兵衛の生き方をとおして、そのことを考えてほしかったからです。そして重信中学校でも数年前に演劇部を立ち上げ、毎年何本かのオリジナルを上演してきました。例えばその中に「千羽鶴」
という作品があります。これは一人の不良少女が、見ず知らずの他人を救おうとして重傷を負った知人の行為をとおして、自分を包む家族の思いに触れて立ち直っていくというストーリーです。やはり「自分を超えた価値」に気づいてほしいと思ったのです。見ている生徒も保護者も、涙を流して感動してくれました。
歴史の授業では、例えば中学一年の最初に神話を取り上げるわけですが、『古事記』の中にこういう物語があります。
日本武尊が、東国、つまり関東地方を遠征したときのこと。今の横須賀あたりから浦賀水道を横切って上総、今の房総付近へ渡ろうとしたとき、海が荒れ狂って船が沈みそうになる。そのとき妻の弟橘媛は「私が身代りとなって荒ぶる海の神を鎮めますから、あなたは大切な任務を全うしてください」と言って海に身を投じた。すると海は静まり、日本武尊は東国を平定することができた。帰国の途
次、足柄峠まで来たとき、日本武尊は失った妻を思いながら海を望んで言った。
「吾妻あづまはや(ああ、わが妻よ)」以来、関東地方を吾妻(=東)と言う、という物語※です。
そういう悲話をとおして神話、命、生きることについて話してやれば、生徒はシーンとして聞き入るのです。歴史には、国を守るために家族と別れて戦地に赴く男たちの姿がよく出てきますが、自分の
親、妻子、故郷を守るという気持ちの延長上に国を守る気持ちがある。つまり、この国を失うことは家族や故郷を失うことだからこそ、日本人は皆、勇敢に戦ったわけです。日本はそういう国柄なのです。
自分の命が大切であることは言うまでもないことですが、自分の命以上のものに気づかないで、本当の意味で自分を生きると言えるでしょうか。人は、自分以上のものを背負ったとき、本当の人間になるのではないかと思います。
こうしたことを一年生のうちから学んでおけば、学年が進んで日露戦争や大東亜戦争を学ぶときでも、国を守るために戦った先人たちの努力や苦悩というものを、親身になって受けとめられるようになります。
 
――歴史は子どもたちの心を育てる道徳教材と言えますね。
 
大津寄 その意味では、今年は四年に一度の教科書採択の年です。子どもたちを世界に通用する骨
太の心を持った日本国民として育てるために、歴史教科書はもちろんのこと、各科の教科書の内容・あり方について、私たち教師は当然ですが、国民一人ひとりがしっかりと見極めていくことが重要ですね。
もう一つ、今年は日露戦勝百年にして大東亜戦争終結六十周年です。それらの戦いで亡くなった方々の正当な評価、顕彰をしていきたいと思います。幸い松山市では、官民あげて、日露戦争で活躍した秋山好古・真之兄弟をはじめ俳人・正まさ岡おか子し規きらの顕彰を行っています。地元らしさを生かして、日露戦争から大東亜戦争への正しい位置づけをしていくことが、松山にいて、教師である私の一つの使命だと思っています。(本誌)
 
 
れいろう 平成17年3月号より