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平成30年「私たちの平和宣言」が発表されました。 平和と安全を求める被爆者たちの会

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平成30年 『私たちの平和宣言』
  
     平成30年8月6日 広島
  
 今年7月に西日本を襲った大水害は、ここ広島にも大きな爪痕を残しました。自然の猛威に畏怖しつつ、心から失われた魂のご冥福を祈ります。しかし、このような災害には屈しないほど強固で美しく整った街並みの大都会に発展した広島は、今もさんざめく人々の平和な日常が溢れています。73年前のきょう、昭和20年8月6日の朝、自然災害ではなく、意図を持つ人の手が落とした原爆の閃光と爆風は、一瞬にして命を焼き払い、日常を破壊しました。広島の街は黒焦げの屍が散乱し、川は死体で覆われ、家々は潰されて荒野と化しました。辛うじて生き延びた人々も、焼けただれた皮膚で地獄の中をさまよい、眼球の飛び出した人さえいました。そしてその痕跡は、今も私たちと共にあります。人々の受けた放射線や熱線の後遺症は今も癒されることはありません。街の真下、あるいは街を流れる川底には今なお焼けた地面、溶けたガラス瓶などが多く埋まっています。どんな言葉を尽くしても描き切れない地獄絵を作った原爆攻撃は、当時の戦争ルールを大きく逸脱して罪なき人々を無差別に襲った「戦争犯罪」と呼ぶしかありません。広島ばかりではありません。広島に続いて長崎が壊滅させられました。そしてまさにその時、きのこ雲の向こうには、鹿児島県西部を空襲した大きな黒煙があったのです。このように日本各地を立て続けに襲った無差別空襲もまた、紛う方なき戦争犯罪です。私たちは、原爆も、日本各地の空襲も忘れません。そして、すべての戦没者、とりわけ理不尽な死に追いやられた方々に、深い哀悼の心を捧げます。
  
 しかし、極限の惨状から生き延びた人々は、灰塵の中から立ち上がり、団結し、想像を超える努力を注いで見事に復興を成し遂げられました。当時12歳の少年がいまわの際に絞り出した言葉の中には、当時の人たちの並々ならぬ覚悟と同胞への想いが表れています。
  
「お母ちゃん、泣いてはいけん。これだけ大きな戦争で、学徒の僕たちが生きておられることのないのは覚悟しとったよ・・・。お母ちゃんは人のためになる事を・・」
  
 間違いなく日本の津々浦々に、この少年と同じ心根があったことでしょう。私たちは、これこそが、当時は想像もつかないこんにちの広島と日本の復興の原動力だったと確信します。
  
 被爆直後から大変な努力を傾けて犠牲者を弔い、負傷者を救護し、電車を走らせ、生きる術を作ってきた広島。70年は草木も生えないと言われた原子野に草も生え、バラック小屋を建て、畑を作った広島。いわゆる「闇市」で、戸板一枚での商いから始めて、ささやかな日常を取り戻していった広島。早くも昭和28年には平和大通りが整備された広島。日本がまだ貧しく、広島市が資金に乏しい時に、経済界と市民が団結して寄付を募り、公会堂も野球場も建設し、広島カープの支援までやった広島。私たちは広島を立て直してきた人々のものすごい力に驚嘆し、尊敬し、心から感謝いたします。今、私たちはその広島の安寧を守り、先輩たちが注がれた復興の努力と、真の平和に向けた願いを受け継ぐ決意です。
  
 昨年は、北朝鮮の核兵器開発の過程で特に重大な年でした。彼らは6回目の核実験で、広島原爆の10倍以上の威力を持つ水爆を手に入れました。日本の近くに着弾した多数のミサイル実験で、核爆弾60基を有する核戦力を実戦段階とし、ICBMは米国まで射程に捕えました。長崎原爆の日には「広島上空からグアム近辺に落とす」との恫喝的予告を行い、日本中が震撼しました。しかし、そのさなかに出された広島と長崎から発せられた平和宣言は、北朝鮮の核兵器へ言及することはなく、その2ヵ月前の国連総会で採択された「核兵器禁止条約」の称賛で溢れていました。広島市の宣言では「市民社会は、核兵器が自国の安全保障には役立たずだと知り尽くしているから、日本政府は、憲法の平和主義を体現するために、核兵器禁止条約の締結を促進し・・」と賛えました。しかし、「核兵器が役立たずだと知り尽くしている」との認識は、北朝鮮の核兵器の進展と中国の核兵器数の増加、英国の核兵器の更新などの事実をどう説明するのでしょうか。「核兵器禁止条約」には実に122ヶ国が賛成しましたが、それらの国は北朝鮮の核を止める行動をしたでしょうか。採択から1年が経過し、条約発効に必要な50ヶ国の調印は実現していません。原因は、条約前文及び条文内部、他の条約や国際司法判決との矛盾、そして第16条における「留保を受け付けない」という硬直性が関係していると思われます。今後発効したとしても、この条約が核兵器国を拘束する力は見えません。条約を推進したNGOの「ICAN」にはノーベル平和賞が授与されました。しかし、これに対する欧州の新聞の論評は冷ややかでした。曰く「世界平和、人間同士の愛情、大量破壊兵器のない世界―― この高潔なユートピアに誰も反論はしない。だからオバマ前大統領も『核兵器なき世界』を夢見たが、しかしすぐに現実によって否定された」と。核兵器は、特にその惨禍を知る私たちにとって、決して使用されてはならない兵器です。しかしながら、核兵器を保有する国は、決して他国から全面攻撃を受ける恐れがなく、かつ核兵器のない国に対しては核を背景に通常兵器の威力を高めている現実があり、少なくとも現代の国際社会における「役立たず」ではありません。

 核兵器大国のロシアはクリミア半島を通常兵器で併合しました。今はバルト海の海軍力を強化しています。そのためICAN事務局長であるベアトリクス・フィン女史の母国であるスウェーデンは、中立政策を変更して周辺国との軍事協力を結び、男女の徴兵を復活しました。また、バルト海の要衝の島への駐留を開始し、国防費の増額も行っています。フィンランドは米国との防衛協定を結びました。同じく核兵器国である中国は、国際裁判での違法裁定を足蹴にして作った南シナ海7つの人工島を完全に軍事化して、沿岸諸国を圧迫しています。さらには2012年11月に開かれた中国、韓国、ロシアによる会議で中国代表は「日本は北方領土、竹島、尖閣諸島にくわえて沖縄も放棄せよ」と公式に演説し、「日本の領土を縮小する新たな条約を制定すべし」との提案まで行いました。そして実際、日本の尖閣諸島への侵犯と、沖縄諸島への海と空からの熾烈な侵食を繰り返しています。北朝鮮の「非核化表明」で始まった「米朝首脳会談」でしたが、中国とロシアの後ろ盾を得た北朝鮮にとって、いまやそれは米国の軍事圧力から逃れるための方便であり、「言葉」に対して「見返り」を要求するという昔からの戦術であることが濃厚です。新しい核施設や核物質生産まで報じられました。日本の核廃絶運動と被爆地平和宣言が、このような核兵器国による目の前の秩序破壊に目を塞ぎ、国際的に合法な日本の安全保障方策の手足を縛るのでは、平和どころか、日本国民を核の脅威に晒す結果になりかねません。核兵器廃絶のヒーローであったはずのオバマ氏は、「対中融和」で南シナ海の中国拡大と軍事化を許し、「戦略的忍耐」で北朝鮮の核開発を放任し、大統領として「北の核戦力を容認する選択肢」も承認していました。「核兵器廃絶運動」は、欧州の新聞記事の通り、誰も反論しない至高の人道的目標であることに間違いありません。私たちは、いや、私たちこそ世界の平和と繁栄を願っています。しかし、その願いと運動が存続できるためには、その国の平和と安全が確固として守られていることが絶対に必要です。ICAN事務局長の母国が、核兵器禁止条約に賛成票を投じたことと、核兵器国ロシアの圧迫から防衛するための軍事的措置とは何ら矛盾していません。だからこそ私たちは、日本の極めて異質な「平和を愛する諸国民の公正と信義」では安寧を得られないことを認識し、日々の実効的な安全の積み重ねこそが平和継続のための手段であると確信します。そして原爆被爆者とその二世、三世からなる団体の一つとして、広島安寧の基盤である「日本の確固とした安全保障」と、そのために必要な憲法の抜本的正常化のための改正を求めます。二度と「過ちを繰り返えさせない」ために。
  
              「平和と安全を求める被爆者たちの会」
  
  
  
  
―― 広島平和ミーティング10年目の記念開催に寄せて ――

広島原爆の日の恒例行事に定着した、広島86平和ミーティングに協力して節目の年を迎えました。私たちの「平和と安全を求める被爆者たちの会」は、文字通り被爆者と被爆二世や三世及び賛同者が集まったものです。長く広島では(多分長崎でも)特定の立場と思考方向の「被爆者」の意見だけがマスコミが取り上げて世間に流布されてきました。しかし、被爆者である私たちの周りに居る多数の「同類」の方々が、世間的"意見"とは決して重ならないところが多いことを感じます。その象徴例が平和公園の「過ちは繰り返しません」の碑文です。
  
 極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事だったパール博士の違和感に碑文起草者の雑賀教授が抗議に及んだいわく付の文言です。平和記念館近くの本照寺住職が「私の寺の檀家も大勢原爆でやられた。『過ちは繰り返しませぬから』に代わる碑文を書いて頂きたい」と要望して、博士は揮毫しました。今も境内に「大亜細亜悲願の碑」が建っているのでその碑文を紹介します。是非お立ち寄りください。
  
「激変し変轉(へんてん)する歴史の流れの中に 道一筋につらなる幾多の人々が万斛(ばんこく)の思いを抱いて死んでいつた しかし大地深く打ちこまれた悲願は消えない 抑壓(よくあつ)されたアジア解放のため その嚴粛(げんしゅく)なる誓いにいのち捧げた魂の上に幸いあれ ああ眞理よ あなたは我が心の中に在る その啓示に従って我は進む」