五日市に戦災児養成所を後にされた陛下は、沿道でお迎えする人々にお応えになりつつ、広島市最初の御視察地広島県水産試験場にお着きになった。
試験場前では、高齢者、漁業関係者、一般奉迎者約一万人が歓呼の声で出迎える中、試験場長藤田正氏の先導で正門まで約70mをお歩きになった。正門前に立ち並ぶ、かき養殖に50年も従事してきた長岡繁太郎、金森一男、米田米一氏はじめ20名の功労者の前では、足を止められ、
「元気で食糧増産をしっかりやってね。」
と、お励ましになった。
場長の案内で本館二階に上がられ、かき養殖法の模型、かきの産額、輸出額等の統計資料を御覧の後、窓から、折からの引き潮ではっきりと姿を表した草津湾の杭打ち垂下式かき養殖の様子を興味深げに御覧なった。
その時、突然、万歳のどよめきが海上から聞こえてきた。海上に集まった数十隻の漁船の漁師たちが、窓から陛下の御姿を拝して一斉に万歳の歓声を挙げたのである。陛下はそちらをお向きになり、帽子を振ってこれにお応えになった。
ついで同場技師竹内卓三氏の説明で、顕微鏡下のかきの幼生(ラーバー)の発育状況を熱心に御観察になり、種がきの採苗方式の説明の際には付着器に使う貝殻を指さされて
「これに種がきを付けるのだね。」
と、生物学に造詣深いお言葉があった。引き続いて、輸出用かき缶詰、のりとかきのつくだ煮、乾しかき、かき殻利用の加工品等御覧になった。
かきのむき身作業中の草津町中西静生氏(54才)の前では、一歩前に進まれてしばしお目を止められた。場長が「40年の経験を持っております。」と説明申し上げると、
「随分永い間、働いているのだね。しっかりやってね。」
と、やさしいお言葉をかけられた。中西氏は全く思いがけないお言葉に、日焼けした頬を感激の涙でぬらすのであった。また陛下は場長をかえりみられ、
「垂下式養殖方式になってから衛生的になり、チフスの心配も無くなったね。」
とのお言葉があった。
次の部屋では学術的に有名な佐伯郡木野川上流に産する「川真珠」を興味深く御覧になり、特産の鯛の浜焼き、煮干いわし、きんこ、乾えび等を御覧の後、御退出になった。
お車に向かわれた陛下は、車のステップにお足をかけられようとした瞬間、急にお振り向きになり、2~3歩後戻りをされ、藤田場長の方をじっと見られて、
「水産事業は特にしっかり頼みます。」
と、念を押すようにお話になった。藤田場長は急な事で一言も無かったものの、その陛下のお言葉に込められた期待と、水産業の復興という自分たちの使命の大きさをひしひしと感じたと言う。