民族はその生存と存亡の危機に直面した時光を放つ。そしてその光とは民族の生命の復活と蘇生の光である。さらに言えば、その危機の度合が深ければ深いほどその光はなお一層輝きを増す。
それを日本史にみると、仏教伝来に始った上代の外来文化移入時の混乱時代、鎌倉時代から南北朝時代の中世混乱期、幕末近世から近代に至る明治維新の前後の混乱、昭和大敗戦による混乱、といずれも日本民族にとって大危機であった。だが、我民族はこれらの危機的状況の中で常にその生命の復活と蘇生をくり返してきた。
中でも大東亜戦争の大敗戦のそれは、あまりにも悲惨であった。歴史上、未曽有の悲劇と受難の中で我民族はさまよい歩かなければならなかった。住むに家なく、着るに衣なく絶望と飢餓の中で最悪の状態が現実であった。民族の悲劇と慟哭の中で、何かこの民族の衰亡の兆候すら見えるようなそういう現実でもあった。
しかし、この日本の敗戦の意味をもっとも深いところで受けとめられ、もっとも御心を痛めつづけられ、深い御憂念と、御一念とを持ちつづけて下さった御方があった。その御一人者とは今上陛下(注:昭和天皇)であらせられたのだ。
この悲しみの絶項ともいう日に、国民は歴史と民族の理想の光を見たのであった。平時でさえ、この国の全ての不幸を、国民ただ一人の不幸があってさえも、それをことごとく御一身に引き受けられ「責任は自分一人にある」と仰せられる天皇陛下にとって、
戦局必ズシモ好転セズ世界ノ大勢亦我二利アラズ加之敵ハ新二残虐ナル
爆弾ヲ使用シテ頻二無辜ヲ殺生シ......尚交戦ヲ継続セムカ......億兆ノ赤子ヲ
保シ皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ是レ朕ガ帝国政府ヲシテ共同宣言二応セシムル
所以ナリ......帝国ト共二終始東亜ノ解放二協力セル諸同盟邦二対シ遺憾ノ意ヲ
表セザルヲ得ズ......帝国臣民ニシテ戦陣二死シ職域二殉ジ非命二タオレタル者及
其ノ遺族二想ヲ致セバ五内為二裂ク且戦ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ
厚生二至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ......
堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ビ以テ万世ノ為二大平ヲ開カムト欲ス
と詔りなされたつらさはいかばかりであったか。ここに天皇陛下は、民族悲劇の先頭に御立ちになった。このことに国民は改めて深い感動と敬仰の念を持つと同時に、唯一の希望の光をみたのだった。御自身の命と引きかえに国民を滅亡から救わんと念じられたこの御心に感動したのであった。
ひとりの人間においても、苦しみ抜いた者がそれに耐え抜いた時、人間として大きく成長するように、民族においても苦しみに耐え絶望の中から一点の光を見つけ出し、立ち上った民族、それは偉大な民族である。その意味から、偉大な民族は偉大な悲劇を持つ。民族の歴史もひとりの人生と同じなのだ。
我々が、歴史の中から学ばなければならないのは、こうした悲劇の絶項の中で、民族の大義を守り、信じることに殉ぜんと万感の思いを秘めながら最後を遂げた人びとや、受難の中で耐え、涙を流しながら、復活と蘇生を念じた人びとの祈りと苦労を思い、感謝の誠をつくすことでなければならない。
敗戦下の茫然自失の国民を何とか助けよう、悲しみと苦しみを少しでも和らげようと陛下は御軫念なされつづけ御心を砕かれた。国民はその御心によって励まされ、助けられた。生きていく魂のよりどころを示していただいたのであった。それによって我民族は復活し、蘇生したのだ。今日、我々は天皇陛下がその時何を念じていられたのか、何をお祈りなされたのかをよく考え、これからの我民族の真の生き方をはっきりと確認しなければならない。
天皇陛下の御在位六十年とは、そのことをお祝い申し上げるのみであってはならない。六十年にわたる永い間、ただ国がらを守らんと念じられた御心と、民安かれと念じられた御心に対し奉り、国民は御報謝と御詫び申し上げるものでなければならないのだ。
陛下の御一念と、国民の心がひとつに結ばれた時、それは日本が日本であり、我民族が持ちつづけていた民族の理想なのである。この天皇陛下の御心を我々は大御心と拝するものである。大御心、すなわち天皇思想とでもいう天皇の御本質は、有史以来、御歴代天皇陛下の伝統的な御信仰であり御心であった。陛下の御在位六十年をことほぐ我々は、今こそ三千年の貴重な民族の伝統を深く受けとめなければならないのである。天皇陛下を中心にして日本民族は復活し、蘇生した。陛下と共にある国民ある限り民族の生命は光り輝き、日本は永遠である。